1.序章

初めにお読み下さい

ここに書かれた文章は硯と言う、非常に限られた分野のことが書かれています。よって、ある程度基礎知識がない人では理解が困難であろうと考えています。もし硯に興味があるようでしたら、以下、三冊の本が教科書と言える本ですので、この本をどれでも一冊、お読みになってから、私の文を読まれる事をお勧めします。

『新説端渓硯』劉演良著、廣瀬保雄訳
現代日本語に訳されている良書ですので分かりやすいと思います。1972年水岩再開時の経緯が詳しく述べられています。1980年頃中国政府機関が行った端渓地区の地質調査報告書の一部が紹介されています。訳者廣瀬保雄氏は東京神田で書道の専門店、「清雅堂」を営み、中国法帖出版の第一人者です。
『図解端渓硯』相浦紫瑞著
硯説は新しく、水岩の三層五層説を否定し、水岩内の四洞も大西洞を除いて本坑と傍坑に分類する等、実際水岩の坑道内に入った人でなければ書けない本で、石紋に付いても、多くの写真を使って説明が加えられています。石紋を知るにはこの本が最適です。惟、硯の鉱物学的な考え方については、大正時代の説をそのまま踏襲していることが気になります。
『訳補端渓硯史』呉蘭修著、石川舜台訳
清代の硯説を代表する本です。呉蘭修は古今の硯に関する著述を全て網羅し、これ等の説を紹介した上で、自分の説を述べています。硯説の歴史、及び、大西洞を知る為には必読の書です。訳者の石川舜台は明治時代、東本願寺の事務総長に当たる職を持つ高僧で、漢書に明るく、呉蘭修が記述して無い説まで、補訳を加えています。漢文にレ点返り字を付した如くの文章で、非常に難解な本ですが、この本を読まずに大西洞硯に付いて語ることは出来ません。

まずこの文を読むに当たり、私の考え方を簡単に述べておいた方がよいと考えます。
古来、端渓硯は墨の下りの良さ、発墨による墨色、更に硯の美しさから、歙州硯と並んで中国硯を代表する名硯です。中でも水岩硯は、大河の岸近くに坑道があり、地底に向かって坑がの延びています。この為、坑内は常に水が溜まっていて、この水を排除しなければ硯石を採取できません。坑道は径1メートル未満です。坑道の長さは100メートル以上になり、大河の水位が下がる冬季にしか採取できません。さらに水を排除するのに数ヶ月を要することから、膨大な人件費がかかり、水を排除出来ても必ず良石が産出されるとは限らず、開坑はまさに賭けに等しい工事でした。その為水岩硯は非常に高価である事は確かでした。

1972年水岩が再開されると、排水には電動の排水ポンプを使用することで、非常に容易になり、電灯も灯され、新しい広い坑道を掘り、トロッコで採石を運び出す等の技術が導入されることにより、大量の硯石が産出されるようになりました。しかし、ここで従来の諸説に書かれている事が必ずしも正しくないということが分かって来ました。『新説端渓硯』の著者、劉演良は水岩再開を実質的に指導した人です。この人の記述では、再開以後、年間15トンもの硯石が採取されているとのことですが、この中に凍や青花のある良石は1パーセントにも満たないとの事です。実際、現在発売されている新水岩で青花の見られる硯はほとんありません。清代以前でもこれと同じような状況であったと考えるのが妥当です。ですが、実際、現在、日本の市場には非常に多くの水岩の古硯が出回っています。
硯の鑑定家を自称する人が、これは宋代下巌の石だ、とか、明老坑だと言えば、そのように評価されてしまうのがこの世界です。その石がどこの坑からとれた石だとか、何つの時代に採取された石だ、とか言う人がいますが、そんなことは誰も分からないはずです。
私は彼等が宋だの、明だの、清代道光13年開坑の石だなどと、鑑定する根拠が全く示されていないことを、強く訴えたい。

また、この世界では、洮河緑石硯は日本において、明治時代以後、非常に高い値段で取引され、多くは現在博物館や記念館に保存されていて、庶民は窓越しにしか見られない代物ですが、清代乾隆帝の編纂した『欽定西清硯譜』にも見られない硯であり、古くは宋代米芇も見た事がないとしている硯です。かような硯がなぜ、かくも多数、日本に存在するのでしょうか。これらは全て端渓の緑端という石である、とする人が多くなってきています。高額で購入した人にとっては不本意でしょうが、これは骨董の世界の象徴的な話で、買った人の責任なのです。

又澄泥硯は本来陶硯であり、石硯ではないはずである。日本には非常に多くの贋物が出回っていると考えて、まず間違いがありません。特に端渓硯にこの贋物が非常に多いように感じます。特に端渓川東斜面の斧柯山から産出される石を騙ることが特に多い様です。
私は1990年以降硯に関する多くの本を集めて来ました。しかし掲載されている写真の多くが、硯の色や石紋を忠実に描出出来ていないのが不満でした。硯をいくら多く見ても、それを鑑定する根拠が少ない状況では、正確な鑑定とは言えません。今まで読んだ本から、水岩は、大西洞を除いて、坑仔岩や麻子坑との鑑定が難しく、中にはこれ等山坑と呼ばれる坑から、水岩の石を凌駕する石が産出されることがある、と考えた方がいい様に思います。硯を作る工人は、これ等良質の山坑の石を水岩と偽り、販売していた実態があります。彼等硯工に必要なことは、水岩の良硯伝説であり、水岩神話であったと思います。これなくして端渓の硯工は存在しえなかったと云っても過言ではないと思います。この神話が各王朝に開坑を決断させ、明末以降、今まで見たこともない美麗な硯石層、大西洞石の発見に繋がったのではないでしょうか。

良質な写真1枚は百万字の文章よりも価値がある、と言うのが私の信念です。どうにか、端渓硯をきれいに撮る方法はないかと考えていた所、二重偏光撮影技法がある事を教えられました。この撮影は光源側に偏光フィルターを装着し、さらにカメラのレンズ側にも偏光フィルターを装着して撮影する方法ですが、この撮影技法は特に端渓硯の様に結晶の透明度が高い硯の写真撮影に非常に有効なことが分かりました。更に最近ではデジタル写真機の進歩で、デジタル化されたデーターをフォトショップと言うプログラムで処理することで、実物の約50倍の拡大写真を作る事が出来、石紋の研究には非常に有効である事が分かりました。硯は美術工芸品である以上、一部を切り取って科学的鑑定にまわす、という訳には行きません。非破壊的な、又科学的な考察が必要です。

次に、実体顕微鏡撮影も、付属装置があれば、デジタル化された写真データーを得ることが出来ます。今の装置には偏光撮影装置が付いていないので、色は満足の行く写真は得られませんが、硯を論じる時、結晶に関する考察が不可欠である事を示してくれました。中国の行った地質調査では、結晶構造についての記述は少なく、しかも用語が中国語の為理解しにくい事が多く、特に眼の形成過程に関する記述は、全く理解不能です。硯の科学的解析には地質学や鉱物学だけでなく結晶を専門に扱う研究者が必要な事を痛感させられました。

しかし『硯の知識と鑑賞』を著した窪田一郎氏は洮河緑石硯、澄泥硯の疑問に触れたあと、次の文を残している。

「趣味、愛好に類するものは、実際には経験によって得た知識と技術の集積によって生まれたもので、科学を超越して味わうところに面目があり、楽しさがある。古硯には少しくらい分からない部分、神秘的なところ、あるいは秘法およびそれにまつわる伝説などがあったほうが魅力を感じるものである。これを科学万能をもって打ち壊してしまっては味気ないものになってしまう」

確かに美術工芸品の世界に科学は必要ないのかも知れません。神話や伝説に守られた美術工芸品には夢があります。古代を馳せるロマンもあります。ここに科学が口を挟むと味気ない世界に変わってしまうことは確かです。
私はこの美術工芸という世界に入る前に、硯石がいかなる自然条件の下で形成されたのかという疑問に取り付かれてしまいました。科学は惟、真実を求めて邁進します。伝説や神話はその起点にはなっても、科学が進歩すれば全く否定されてしまうことは間違いありません。私は硯を愛する人達とは、全く違った道に入り込んでしまった様です。

私は鉱物学者でも岩石学者でもありません。こんな者が、生意気にも硯の結晶について述べようとしています。偏光撮影で撮った写真と、実体顕微鏡写真を100枚程用意しました。専門家の学者から笑われるのを覚悟の上でこの文を作成しました。今後、硯を結晶学的見地から考察した研究が現れることを、切に願っております。